活動内容
活動内容 — Activity —
チャリティーバザー
年に1回、デイサービスとの共催で開催しています。
食堂の運営
外部からのお客様や地域の方々、ご利用者の方々へお食事、飲み物等の提供を行っています。
寄付
バザーや食堂の売上げ、会員の方からの会費、寄付金をデイサービスセンターひまわりの活動に役立てております。
これらの寄付は以下のように物品等の購入に充てられております。
- HP作成、パンフレット増刷、食器、送迎車、地域への看板の設置、など
会報
年に4回、会員の方に会の活動を紹介するご案内を発行しています。
総会
年に1回、前年の反省点、次年の計画など、デイサービスからの活動の報告と意見交換を行っております。
会員より
会員より — Member —
私のひまわりさん
デイサービスセンターひまわりを支える会 会長
佐々木晋一郎
西武ライオンズが所沢に来た年に、私も同時に転居して来ました。緑豊かな新興住宅地は、若いお父さん、お母さん、そして子どもたちにあふれて、新しい町ニュータウンそのものでした。商店街もあり、毎日のお買い物は地元の商店で充分、町は活気に充ちていました。
それから子どもたちは成長して町を離れ、残されたのは昔のお父さん、お母さん。老人の目立つ町となり、大手スーパーに押された商店もさびれて閉店の目立つ町と大きく変化しました。
そして住民の高齢化と共に、老人介護の問題が生じて来ました。
「デイサービスひまわり」は、いち早く、介護施設の必要性を感じる人達により、平成九年誕生しました。
元気だった父が脳出血で倒れたのも同じ時期です。入退院をくり返しておりました時、「ひまわり」をご紹介いただき、ご縁ができました。父は油絵を趣味として、毎年、銀座で個展を開くのを楽しみにしていました。しかし、病気の為、それも出来なくなり落ち込んでいましたが、「ひまわり」で最後の個展を開催して頂き、父にとっては最高のプレゼントとなりました。心のこもった愛情あふれるお心づかいに、私達家族一同大変感動しました。その後、母もお世話になりました。そして少しでも「ひまわり」さんのお役に立てばと、バザーの協力から始まり今日に至っております。今では、綿アメ専門の要員(わたあめのおじさん)として登録されています。
—年々老人福祉の環境が厳しくなる時代に地域のオアシスとして「ひまわり」の発展を願い、微力ですがお役に立てればと、常に思っています。
地域の中で安心して穏やかに老後を過ごせる施設がほしいと願って
デイサービスセンターひまわりを支える会 副会長
青木瑛子
今から二十数年前、地域の民生委員をしておりましたおり高齢者のおられるご家族を訪問する度にご家族のご苦労の大変さが身に沁みておりました。地域の中で安心して穏やかに老後を過ごせる施設がほしいと日々思っておりました。そんなおりご縁があり中新井に施設を作りたいとのお話を伺い「作る会」に参加いたしました。そして現在は「作る会」から「支える会」になり、ボランティアとしてお手伝いをしております。
保育園の子どもたちとのふれあい、「金子みすず」の詩を元気に歌ったりなどなど、利用者の皆様のたのしそうな様子を見ておりますと、とても幸せを感じます。
ますます大輪のひまわりになりますように私も支える会で頑張ります。
介護とはこうあるべきを実践されている福祉法人
デイサービスセンターひまわりを支える会 副会長
中村昌子
今から8年強前、80歳まであと2年という高齢になってから卵巣癌が発症した母。父が亡くなり独居の生活を健康で快活に過ごしていたのが嘘なくらい2008年は闘病に明け暮れた一年でした。手術前後の定期的な化学療法などによりふつうの暮らしができなくなったことで、母も、各々の家庭から遠征して母をサポートすることになった二人の娘も、初めて介護サービスの世界に足を踏み入れました。薄紅色の花水木が満開の頃、わけもわからずに、ひまわりに見学に行ったのが懐かしく思い出されます。第一印象通りの素晴らしい施設で、それから7年半、どれほどひまわりには助けられたことでしょう。
週2回のデイへの通所で、娘のサポート無しで再度独居の生活を約5年続けることができました、その後、大腿骨骨折の手術・入院を経て怪しくなった短期記憶のこともあり小規模多機能での繰り返しのお泊りの生活スタイルを2年半、後半はひまわりでの滞在時間の方が長かったこともありますが、慣れ親しんだ自宅でのあくまでも在宅生活を実現させてくださいました。
どんなときも、利用者とその家族の幸福・利便性を第一に、効率や経済性はもちろん、時に業務の範囲を超えて、温かく、偽りなく、虚栄なく、熱心に、愛情豊かに、ご対応いただきました。介護とはこうあるべきを実践されている福祉法人と声を大にして言いたいです。母がお世話になり始めて間もなく、施設長から支える会にて多少若い(?)マンパワーを必要とされていらっしゃる旨を伺い、微力でも何かお手伝いができたらと即座にお受けしました。都内在住で、不定期な仕事もあるため、支える会の業務に100%の出席が叶わないのが心苦しいのですが。残念ながら母は、早晩、別な暮らし方に方向転換しなくてはならないときがくるだろうと、縁ありまして、少し早めにホームへ移りました。もう母はひまわりにはおりませんが、わたくしは支える会の業務を細々と続けながらいつまでのひまわりの一員でいられることをとても幸せに感じます。